出張中に届いたキャビネットの上にタオの写真とハートの燭台が置かれていた。
ブラインド越しにいい光が当たっていたので、好きな色味に近づいてきたホワイトバランスと露出と色温度の設定で写真を撮る。
写真立てと燭台の距離が空きすぎていたので少し位置調整。
ハートの燭台の赤色がキレイに出そうだったのでパートカラーで撮るとなんだか寂しい写真になってしまった。
キャビネットの上に燭台を置くのはやめて代わりにフルーツバスケットを置くと、タオの写真と同じくらいの高さなのでバランス良く収まりすぎていていまいち。高さを考えると燭台の方がいい。
フルーツバスケットにリンゴが入っていたので赤色のパートカラーで撮ってみると、自然のモノは色が均一ではないので色むらのないハートの燭台(工業製品)の方がキレイに赤が出ることが分かった。
「タオの写真の横に果物を置くと、なんだかお供えみたいに見えない?」
というヒカルが言い出してなるほど納得。ぼくはそうは思わないけれど、そう感じる人がいるのは理解できる。
ハートの燭台とフルーツバスケットをどけてタオの写真だけにすると、今度はなんだか空間が空きすぎていて落ち着かない。
ふと
「モノづくりってこんなことの繰り返しだよなぁ」
と思う。
写真でアングル、画角、被写界深度、色味、露出、シャッタースピードを色々と変えてみるのと同じく、文章だって改行のタイミングや言葉の選び方を変えてみる。
音楽だったらテンポやビートや音色や和音やメロディーやミキシングを変えてみる。
映画でもゲームでもデザインも料理もすべて同じで、あらゆる局面で無限のパターンから何かをチョイスして編集して完成させる。
伝えたいテーマを明確にしつつ、そこに意外性や緩急を入れて飽きさせない様に構成を工夫して、自分やスタッフやクライアントやお客さん(ユーザー)に満足してもらえる様にまとめる。
あるはずのない正解を求めて、限られた人、機材、時間、お金、スキル、集中力の中で組み合わせを探るのだから、途方もないといえば途方もないけれど、そこにかすかな光が見えた気がする瞬間があるから楽しい。
キャビネットの上に、タオの写真以外に何を置くか?
置くものが決まったとして、どのポジションに、どの角度で置くか?
それをどの光(ブラインドをどれくらい開けるか? 室内の明かりを点けるか?)で、どんな設定で、どのアングルから、どの画角で撮るか?
そんなことにハマっていたらモグが呆れて寝ちゃった。
ちなみに写真としてはぼくは1枚目のカラーが好き。
これが正解かどうかは分からないけど。