後ろ向きだったり、俯き加減のことは、なるべく言わないようにしている。
それは
「こんな大変なんだから同情してよ」
とか
「こんな状況で頑張ってるぼくって凄くない?」
みたいな自己愛が透けて見えて、どうにも同調しずらいことが多いからだ。
老いも若きも、男も女も、金持ちも貧乏も、病気の人も健康な人も、生きていくのは色々と大変だろう。
だから愚痴って発散したいことがあるのも分かるし、ムカつくことや、大嫌いな人や、苛つくことが多いということくらい、鈍いぼくでも理解できる。
ぼくだって愚痴るときもあるし…。
どうしても言わずに居れないときは
「いまから毒を吐きます!!」
と、清々堂々と、声高らかに宣言してから毒を吐けばいい。
それだけで幾分、相手に撒き散らす毒の濃度が薄まるはずだ。
毒を吐けば幾分スッキリする。
そしたら後は、毒を受けてゲンナリしてる人のフォローをする。
これでイーブンで、大人のマナーなんだと思う。
えーと、今から毒を吐きます。
週末の京都出張から東京に戻る新幹線。
電光掲示板では大飯原発再稼働の正式決定のニュースが、幾度となく車中の電光掲示板で流れていた。
ほとほと嫌になる。
なし崩し的に再稼働することは薄々分かっていたけれど、それでもどこかで
「これだけのことが起きれば、再稼働しないという世の中に変われるのかも知れない」
と淡い期待を抱いていたのだ。
期待しなければ失望することはないのですが、それでもやっぱり期待しちゃった…。
「あーあ…。どうしてこうなっちゃうのかなー」
という無力感と、失望と、ほのかな怒りと、厭世観。
色々なスタンスや考え方があるでしょうけれど、ぼくは、いまの日本だったら原発なしでもやっていけると思っている。
それには国や企業や学校や世論や個人やメディア(?)が一体となって取り組む必要があるだろうし、人類の意識の変化が必要だと思う。
少しは我慢したり、足を知る必要があるかも知れないけれど、それでも、一度事故になれば警戒区域に人が入れなくなってそこに取り残された動物が餓死することはない。
ホットスポットが各地に出現して、雨に洗われた放射性物質が川に流れて海を汚染することもないだろうし、手に負えない放射性物質を土深くに埋めてなかったことにするという、自分たちの祭りの後片づけを未来に押し付けることもせずに済む。
「AとBの選択だったらどっちがいいの?」
と訊かれて、300%くらいの勢いでAだと思ってたら、意外なことにBを選択することになってしまった…。
どうにもこうにも、死生観とか、宗教観とか、道徳観とか、美意識がズレている。
こんなに近視眼的で、傲慢で、我が侭なのが恥ずかしい。
こんなことだと謝っても謝り切れないし、詫びても許してもらえないもん。
ほんと、未来の人や、動物や植物全てに申し訳ない…。
…とはいえ愚痴っても、毒を吐いても何も変わらん。
いつだって前を見て、上を見て、朗らかにいないとダメなんですよ。
思い続ける、言い続ける、やり続けるのって大変すぎることを痛感中。
しかしこの事態にはモグもガッカリです。(写真は散歩行くのを嫌がってるだけだけど)