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 いい子(犬)は、歯磨きもできて、耳掃除もできて、目薬も注せて、ツメも切れる。
 しかしうちの独眼竜(タオのことです)は、全部ムリ。
 それはタオの資質の問題ではなくて、小さい時から習慣化しなかったぼくの責任。

 生後2週間で引き取って、それからずっと家の中ではリードもつけず、ケージにも入れられずに13年間生きてきたのでペットホテルにも泊まれない。
 泊まれないどころか手術して入院したときには、麻酔が切れたらずっとケージの鉄線を噛み切ろうとし続けて歯が折れて出血。
 深夜に病院から「この子は入院ムリなので引き取りに来てください」と呼び出されたときは心配でもあったが、飼いならされていない野生の犬みたいな無茶っぷりがちょっぴり誇らしくもあった。←ここが間違い

 そして海の日に突然の網膜剥離で失明。
 1日3回の点眼が必要なのに、3回ちゃんと点眼できたのは初日のみ。知恵がついてこっちの気配を察するので、1日1〜2回しか点眼できない。
 それも寝てるときに気づかれない様に近づいて、それこそ2階から目薬みたいな感じで点眼を遂行するのみ。気づいた途端に逃げて行ってしまうし、無理矢理捕まえても、嫌がって首を振るからムリなんである。
 さらにいえば、失明した右目を上に横臥しているときのみが点眼チャンス。右目を下にしてたり、うつ伏せに寝てる時はムリ。

 点眼できない&腫れと出血も引いて来たので、医者と相談して再検査の日程を早めることにした。
 すでに予約でいっぱいのところを診てもらうので月曜日の昼に病院に行くが、正規の予約患者の合間の診察になるので、数時間はかかるらしい。往復も考えるとほぼ1日仕事になりそう。
 困った。
 …とはいえ、本当に困ってるのはタオ(独眼竜)本人だけど。

 …で、目薬なんである。

 ぼくが痛風で倒れて松葉杖生活をしていたときにも感じたんですが、どうして松葉杖や目薬って、こうも前時代的なんだろうか?

 これだけ文明やテクノロジーが発達して、いまじゃ外にいてもiPhoneでフルブラウザでネット検索できたり、twitterでライブブログできる時代だってのに、松葉杖も目薬も、ぼくが子供の頃からなにも変わっていない。
 ぼくが知らないだけで、もっと便利&簡単な目薬って存在してるんだろうか?

 もしかしてこれが究極&最終的に機能性を追求したデザインなんだろうか?
 もう完成されているとしたら、100年後の目薬も、容器はこのデザインなんだろうか?

 松葉杖もそう。
 あんなに大きくて、邪魔で、雨が降ったら傘さえさせないなんて考えられん。
 この数十年は基本的に(材質が木からスチールになって軽量化&耐久性は増してますが)なにも変わっていない。

 病気になったときって、日常が凄く遠くてタフに感じる。
 目薬ごとき、どーでもいいんですが、そのどーでもいいことが侭ならないという不自由な非日常。

 嫌がる犬や子供にも簡単に点眼できる目薬の容器のデザインって、ニーズがないから誰も考えないのか、どう考えても所謂いまの目薬の容器にしかならないのか、そこをじっくり考えたいわけですが、そんな時間もない侭に、失明した右側を上にタオが横臥してくれるの待ってるわけです。

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