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 今年の正月はデットマン・ウォーキングとプリズン・ブレイク三昧。
 連続テレビドラマを観るのなんて、25年くらい前の「V」以来なので、どれくらい集中して観ればいいのか最近の作法がよく分からん。

 デットマン・ウォーキングは、日常がフィーチャーされてるところや、ゾンビがほとんど出てこない回があることや、ゾンビ映画でありながら実は人間ドラマという構成が新しくて面白い。
 前情報ゼロで観てるので、最初はヒロインの女優はジュリエット・ルイスだと思っていましたが、途中でナタリー・ポートマンにも思えてきて、その後に別人だと気付いて、それからヒロインに感情移入。

 …でも途中で死んじゃうし、デットマン・ウォーキングまだシーズン途中らしいので、こんなことなら放映終了してから一気に観ればよかった。

 

 次に一気観開始したプリズン・ブレイク。
 バックボーンなしで始まるので、お兄ちゃんに感情移入できず。
 スタート直後はお兄ちゃんはいい人という描写も設定なければ、兄弟愛も描かれないまま始まるし、なんだか首が短くてサイみたいな俳優さんなので、誤解を恐れずに言えば「別に死んじゃってもいいじゃん」という気分。
 冤罪犯の兄ちゃんを助けるために自ら犯罪を犯して投獄されて兄弟一緒にプリズン・ブレイクというのが物語の大筋ですが「そんなことまでして助けなくてもいいじゃん」という気分で観ているので、見続けるためのモチベーションが見当たりません。

 それに鶴の折り紙が下手過ぎて鶴に見えない。
 鶴の折り紙が出てくる度に「誰かちゃんと教えてあげようよ」という気分になって、物語の本筋を見失ってしまいます。

 折り紙をちゃんと教わったわけではないという設定(兄弟の過酷な少年時代を演出)でわざと下手にしてるのは分かりますが、それにしても下手過ぎる。
 鶴というかサイ。
 下手にも程がある。 

 …が。

 女医さん役がデットマン・ウォーキングのヒロインの女優さんだった!!
 しかもデットマン・ウォーキングよりも若くてキレイなときなので、それだけで見続ける意味を見つけられた。

 …とはいえ、シーズン1の折り返しすぎても未だにプリズン・ブレイクならず。

 ゴジラを観てるのに、中盤過ぎてもゴジラが出てこないという思わせっぷりな展開。

 プリズン・ブレイクって、シーズン1の途中くらいでは脱獄して、その後は、脱獄後の人間ドラマの悲喜交々だと(勝手に)思っていたのですが、これってひょっとすると、シーズン2とか3までプリズン・ブレイク未遂ってドラマなの?
 参ったな、これ…。

 

 そんな気分を払拭するためにオールナイトで007。

 クレイグボンドになってから随分とビターテイストの007になりましたが、今回は随分とクラッシック。
 適役のバルビレバリ(名前適当。何回聞いてもこの人の名前は覚えられない)が、キモい役でよかった。
 バルビレバリさんは、ビューティフルや恋となんとかとバルセロナみたいな二枚目役もいいですが、やっぱりノーカントリーみたいなキモい役がいいよなー。

 50周年記念ボンドとして十分に面白いですが、ビターテイストとハードさと色気が薄まって、ずいぶんとクラシックでパーソナルでプライベート感たっぷりの007でした。
 筋としてはMに復讐するというだけなので、陰謀や裏切りみたいなスリリングさは皆無なのが残念。
 世代交代の狭間の繋ぎということでしょうか?

 

 そして007終わりで赤のれん。
 博多とんこつラーメンとしてクラシックではありますが、絶妙に変化し続けているので古くならないのが凄い。

 デットマン・ウォーキングより、プリズンブレイクより、007スカイフォールより、ぼくは赤のれんの方が好きでした。

 

 ご馳走さまでした。

 

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 訂正:× デットマン・ウォーキング
    ○ ウォーキング・デッド 

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