タオが食べ残した未開封の腎臓アシスト(医療用ドギーフード8キロ×3袋)は、他の病気の子に役立てて欲しくて病院に寄付しました。
なのでうちには開封済みの残り僅かなドギーフードがあるだけ。
それがなくなってしまうと寂しいので、夕飯のお肉などを少しだけタオとケム(20歳で大往生した犬)とチビ(野良猫)の仏壇に上げます。納骨するのは悲しいので遺骨は全て家にあるんですね。
動物の骨を家に置いとくと霊が憑いてよくないみたいな話しを聞いたことがありますが、そんなもんは関係ない。タオの霊ならむしろ大歓迎。あんなに可愛いタオだもの、霊になっても悪霊になるはずがない。
今朝はヒカルがスクランブルエッグを作っていました。
油も使わず、味付けもせず、ただたまごをかき混ぜながら炒めるだけのヘルシータイプ。これはタオに薬を上げるときによく作ったもの。
たまごに薬を埋め込むだけで、たまご大好きなタオはそのまま飲み込んで「これ、おいちわー。もっとちょうだい」とご機嫌でした。
何しろ人間の食べものは塩分や脂分が過多で犬にはよくない。だからたまご1個で2日分。でも、あんなに好きだったんだからもっと上げればよかったな…。
美味しいもの食べて短命と、医療用ドギーフードだけ食べて長寿ってのはどっちが幸せなんだろ?
人間だったら自分で判断しますが、犬ってのは言葉を喋らないから分からん。
でも違う言語の人とコミュニケーション成立したり、言葉も喋れない赤ちゃんや子供と通じ合えるのと全く同じに、犬とも通じるんですよね。
基本は医療用のドギーフードだけど、ちょっとだけお肉やたまごやタオ飯(肉と野菜をお米をノンオイル・味付けなしで煮込んだもの)を食べて大喜びしていたんだから、それでよかったはず。
人間が健康的に生きて行くには野菜と玄米だけで充分なのに、それでもイタリアンだの、ラーメンだの、焼肉だの、お鮨だの食べてるんだから、タオにだけ摂生させることには違和感がありました。
でもそういった甘さが病気を呼び込んでしまったのも事実。律して摂生して、医療用のドギーフードしか食べさせなければ、あと1年くらいは生きてくれたのかも知れません。
しかし昨日書いたティーライトティンと同じく、お供えモノもかなりのムダですね。
食べるものがなくて亡くなる人がいる一方で、食べもせずに供え(お供えという言い方をヒカルが嫌がるから、ご飯なんだけど)て捨ててしまうスクランブルエッグもある。
論理的に、理性的に考えても、亡くなったタオがお腹を空かせるはずがない。なのでお供えなんてムダだし、アンチエコです。
それは分かっているんですが
「お腹すいてたらかわいそう」
と考えてスクランブルエッグを上げてしまうし
「喉が渇くだろうから」
とお水を換えるし
「暗いとうちが分からないかも」
とロウソクやお線香を絶やさないし
「声が聞こえないと寂しがるかも」
と、未だに声に出して名前を呼んでしまうし…。
人間なんてのは愚かなもので、つくづくムダが多い。
物理的・科学的に証明されない部分にもなにかあると感じてしまうんだから仕方ないですね。