名前(名詞)は人間が発明したものだ。
会話でコミュニケーションするときに、名前がないと不便だから、必要があって生み出されたものだと思う。
例えば名前(固有名詞)がないと
「ほら、駅に行く途中の交差点ところの家のあの人さ…」
「あぁ、あの太ったオジサンね」
「違うよ。それは駅に行く途中の交差点の右側の家の人でしょ。そうじゃなくて左側の…」
「あぁ、左側ってことは、あのオッパイの大きい人だ」
「そうそう。あのオッパイが大きい人がさ…」
という感じで話題にしたい人を特定するにもたいへん。
名前があれば
「ほら、駅に行く途中の佐藤さんさ…」
「佐藤さんのオジサン?」
「違うよ。娘のヨッちゃん」
「あぁ、あのオッパイが大きい人ね…」
ということで、話しがスムースに進む。
オッパイという名詞がなくても困る。
「ほら、駅に行く途中の佐藤さんさ…」
「佐藤さんのオジサン?」
「違うよ。娘のヨッちゃん」
「あぁ、あの、腰から肩の間の2つの膨らみが大きい人ね…」
みたいな、なんだか学術的な話しになってくる。
駅という名詞がなくても困る。
「ほら、電車が止まったり、動いたりする場所に行く途中の佐藤さんさ…」
電車という名詞がないとどうにもならん。
「ほら、高さが2メートルくらいで、横幅が10メートルくらいの、人がいっぱい乗る乗り物が止まったり、動いたりする場所に行く途中の佐藤さんさ…」
日本語にも、雪の呼び名は幾つもある。
細雪、どか雪、吹雪、大雪…。
しかし雪と共に暮すイヌイット(エスキモー)は、雪にまつわる名詞を数十個もっているそうだ。ディーテール毎に呼び名が違うわけだ。
どこかの国の誰か(忘れた)は、鹿の呼び名が数十個あるという。
男鹿、女鹿、小鹿、妊娠中の鹿、角の生えてない鹿、生えている鹿…。
狩りをするときに
「鹿がいたよ!」
と言っても、どんな鹿なのかが分からないので、タイプ別にすべて名前があると聞いた。
生活に密接したものには、たくさん名前をつけた方が便利なんですよね。
ジンギスカンといえば羊の肉ですが、同じ羊の肉なのにラム(生後1年未満)とマトン(生後1年以上)と呼び分けられる。
鶏肉だって若いのはひなどりと呼ばれる。
牛なんて、国産か輸入があって、そこに神戸牛だの松阪牛だのの産地や銘柄があって、さらにはカルビ、ロース、みすじ、三角、タン、タンスジ、ミノ、ホルモン、ハラミなどの部位があって、さらにはタレか塩かと呼び分けられる。
これ、名前がないと、オーダーするまでに陽が暮れますよね。
人は、人とのコミュニケーションを円滑するために、世界のすべてを名付ける。
それは要するにタギングということ。
…で、なんでこんなことを書いてるかといえば、この数年、全く人の名前が覚えられない。
30代のときもひどかったですが、40を過ぎたら、5回くらい会わないと名前を覚えるのは無理。
しかもせっかく覚えても半年会わないと忘れる。
とはいえ、オッパイが大きい人の名前はすぐに覚えることができたりして、自分でもなんだか分からん。
せっかくコミュニケーションを円滑にするために名前が生まれたのに、それを使いこなせない。
ほんと切実なんです。
みんな、どうやって名前を覚えてるんだろ?