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 去年の10月にタオが亡くなったことが契機になってFreePetsに参加しています。

 仕事関係では出会えない方々との繋がりができたりして面白いし、仕事と完全に切れてるのでいい気分転換にもなる。
 FreePetsの活動によって「ペットと呼ばれる動物たちの命について考える」ことが少しでも広まれば本当に嬉しいし、完全にエゴだけれど可哀そうだったり、不愉快なことが減るのは気分もいい。

 そんな軽い気持ちで活動を始めたのはいいけれど、本当にやることが山積みで、さぁ大変!
 美味しいワインや、美女、面白い話しや、ヘンな人との出会いを求めて夜な夜な飲み歩いていた時間とエネルギーが、モグ(タオの後にうちに来た元保護犬)とFreePetsに完全にシフトしました。

 FreePetsは完全ボランティア活動なのですが、ヘタすると仕事よりもやることが多い。
 受け身の仕事だったら担当分を終わらせればそれで終了ですが、仕事にしてもボランティアにしても「もっとこうするべきだ」とか「こんなことだってできるはずだ」という主体的な気持ちで関わるとエンドレス。
 もう少しトーンダウンしないと息切れしちゃって続かないと思うんですが、困ったことに、みなさんのエネルギーとパッションに引っぱり上げられてしまうのです…。

 FreePetsの活動はボランティアということは当然のことギャランティーも発生しない、いわばただ働き。
 それなのにイベントや打ち合わせで時間を取られるし、メールがかなりな数でその処理と対応が大変だし、移動の交通費は自腹だし、何かと出費もかさむ。
 WEBを立ち上げるとか、WEBのためのサーバレンタルなど、活動資金を得るためにグッズ販売もしているのですが、グッズ作るためのお金や、グッズを売るためのイベント出展のお金や、グッズを売るために会場に向かう交通費もかかるので感覚的にはプラスマイナスゼロ。

 正直いえばプラスマイナスゼロじゃなくてややマイナス。
 みんなで出し合った拠出金が原資になっているけれど返金の目処もたたない(^^;

 しかし試行錯誤を続けているうちにだんだんと注目される様になって、各方面から協力の申し出が増えてきました。
 それに伴い対外的な打ち合わせも増えたので、この度、名刺とFreePetsのカードを作ったのです。(打ち合わせ時にメンバーが各々の名刺を出していると適当な印象になるんですよね)

 ここでふと考える。

 仕事でもないのに、名刺まで持ってるのはなぜ?
 ボランティアってなに?
 仕事なの? 趣味なの?
 …っていうか、むしろ仕事ってなに?
 収入を得るどころか持ち出してるのだから遊びなのか?
 利益を求めた営利活動でもないのに、どうしてみんな頑張るんだろう?

 今のところのぼくの経験と体感では「ペットと呼ばれる動物たちの命について考える」ことは、人と動物や、人と人や、社会や、時代や、人と環境(=自分以外の全て)について考えることであり、それは即ち自分について考えることであったり、自分と向き合うということです。

 そして何より「考えてないで先ずは行動してみよう」ということだった。

「考えよう」といいながら「考えてないで行動しよう」というは甚だしい矛盾ですけど、ここにリアリティーがあるのですよ。

 考えたって結論が出ないことの方が多いので、何しろ動いて活動していればそのうちあれこれ繋がって「なるほど、こういうことだったのか!」と、青天の霹靂っぽく納得できる日がくる気がするのです。