今までは基本的に全てのコメントにレスしてたんですが、なんだかそれも作業っぽい&やらされてる感じがするのと、好感度上げる努力してるみたいで嫌になりまして…。
前にたまたま1つのコメントにレスしなかったら「無視されてるみたいで悲しいです」みたいなメールを頂いてしまったんですね。
だからコメントにはレスしないことにしました。
…が。
=====
治ると思っているから騒げる。
治らない。
もしくは進行性と言われたら、どんな気持ちになるんだろうか?
分からないから、まぁいいことにする。
=====
という感じでサジェスチョン気味なコメントは拾わざるを得ない。
これはまさにその通りで、進行性と言われたら逆にもっと吹っ切れるかも知れませんが、きっともっとブルーでしょう。
ボク程度の症状&病状で騒いでると、松葉杖や車椅子の人にとったら不愉快でしょうし、もっと言えば「松葉杖や車椅子でもいいから生きてて欲しかった」という気持ちの、残された遺族の方々だっているに違いありません。
でもそういうことを言い出すと、答えの見えない沼にハマるのも事実。
例えば「今日はいい天気で最高!」と書いたとしても、天気がいいことで被害を被ったり、不愉快な思いをしてる人からしたら「いい天気で最高はないだろ!」という風になる。
「子供が可愛い!」と書けば、子供を失った人の悲しみを膨らませるでしょうし、逆に子供が産まれたばかりの人は賛同してくれるでしょう。
「仕事がつまらん!」と書けば、リストラされた人から「つまらんとは何事だ! 仕事があるだけマシだと思え」と言われるかも知れませんし、同じく仕事がつまらん人からは「ボクも仕事がつまらんです!」と賛同を得られるかも知れない。
ボクが思うに、何か思う事を書いたり発言すれば、同意してくれる人と同じくらい、異論を唱える人がいるのが世界のバランスです。
そういうこともひっくるめて、ボクは足が痛い。
痛いだけなので大した事ないし、要らぬ心配もされたくないので、松葉杖生活という非日常を楽しみつつ、その中での発見を書き留めておくだけ。そこに何の意味もないですし、同情して欲しいわけでもないですし、松葉杖の人をおちょくっているわけでもない。
しかし痛風+松葉杖という状況下で、感じた事を書く以上は、そこに共感してくれる人もいるでしょうし、不快感ある人がいるのも当然なんだと思います。
もっともなるべく不快感を抱かれないように最新の注意を払って、松葉杖の人や、もっとシリアスな病状の人に気を使いながら書けばいいんですが、それができないあたりがボク個人のリテラシーの低さなのかも知れません。
仲のいい人をおちょくって笑うのは楽しい。
それと同じくらい自分を貶めて笑うのも楽しいんですが、自分を貶めているつもりでも、誰かを巻き添えにしてるのかも知れませんね。
ブラック過ぎて笑えないのと、ブラックギリギリで笑えることの境界線。
そのボーダーギリギリが1番面白いと思うんですが、ギリギリってことは笑えない人も多いって事ですよね。
元来がそうでもあったんですが、知らぬ間に世界のボーダーが見えなくなってきています。どんどん向こうに離れて行ってる。
ボクのボーダーはギリギリアウトということが多いので、そこはちゃんと自覚しないとヤバいですね。
=====
分からないから、まぁいいことにする。
=====
とコメントにありましたが、分からないんだったら考えて欲しいし、考えて分かったら教えてください。
まぁいいことにしちゃうのがヤバいんだと思います。