東京は未明から雪。朝には若干積もっていた。
「こんな日は外に出たくないし、ランチだって出前や弁当で済ますはず」
という予想の元、普段は混んでて敬遠してる蒙古タンメン中本へ。
知る人ぞ知る、辛旨いで有名なお店。
予想は的中!!
ランチタイムを少し外して行ってみたら並びゼロで空席2ですぐに着席できた。(すぐに数人の店内並びとなったので、タイミングがよかっただけかも)
小中学校の友人のYが進学した高校の近くに中本があって
「娘々のスタミナラーメン(辛いラーメン)好きの西なら、絶対に気に入るぜ」
と教えてくれた店。
ぼくがはじめて食べたのは20歳の頃だと思うので、かれこれ25年かと思うと感慨深い。
当時は先代のおじさんの自宅1Fを店舗にした小さなお店だった。
おじさん、奥さん、おばさんの3人体制で、おじさんがカウンターに置かれた紙にオーダーをまとめて
「はい、お母さん。次は4。大盛り2。ジャンボ3ね」
と、独特のローカルルールで告げると、奥さんが黙々と麺を茹でる。
北極辛めとか、北極ジャンボを注文すると
「身体に悪いからやめなさい」
と、親切(?)に注意してくれたのも懐かしい。
近くの高校生がお客のメインだったのでお店には禁止事項の張り紙があり
・入れ墨の人は入店禁止
・喫煙禁止
・授業をサボって食べるの禁止
と書かれていた。
それでも昼から学生服着た男子高校生がいっぱいいたけど(^^;
あまりに辛いので食べるのに時間がかかる。
なので北極を食べるときは店にある漫画を読みながら一口食べては、辛さが収まってからまた一口というペース。
食べ終わる頃には麺もスープも冷めてるという時間のかけ方が普通だったので、異常に客の回転が悪く、店の外から厨房のおじさんに注文し近所のコンビニや公園で時間を潰すというのがセオリーだった。
確か15年くらい前のこと…。
その中本が、先代の中本正さんの引退で閉店となり、最終営業日は昼に注文しても食べられるのは夕方という伝説を作った。
熱烈なファンに惜しまれつつ中本は閉店したわけですが、最終日に店に行けなかったある人(いまの中本を展開する会社の社長)がお店に押しかけ
「どうしてももう1回蒙古タンメンが食べたい!!」
と先代を口説いて特別に1杯作って提供してもらったとのこと。
そのときに「この味が消えてしまうのは残念過ぎる」ということで直談判し、先代の指導の元で、門外不出、一子相伝の蒙古タンメンを伝授され、いまの「蒙古タンメン 中本」として再スタート。
いまでは14店舗を構えるまでに成長した。(月1くらいで先代が「蒙古タンメン 中本」にきて鍋を振ってるらしい)
ちなみに先代がやっていたときは「中国料理 中本」だったはず。
再スタート後はすぐに板橋本店を訪れ、池袋店ができてからは池袋に通い、そうこうしてるうちに地元の目黒店がオープン。
目黒店オープン当時は週2〜3は通って、昼と夜に中本という1日2回のダブルヘッダーもこなしていたのですが、次第に人気店となって並ばないと食べられなくなって疎遠に…。
雪の日の今日。
おおよそ1年振りくらいの蒙古タンメン。
すそ野を広くして新規客を掴む戦略なのだろう、蒙古タンメンの辛さが1ランク落ちていた。
前の方が好きですが、これはこれでありかな。
…というか、充分に旨いし、他店にはないオリジナリティーが炸裂しているけれど。
看板メニューの蒙古タンメンの辛さをマイルドにすることで新規客が獲得しやすくなる。少なくともはじめて中本に来て蒙古タンメンが辛くて食べられなくてギブアップというお客さんは減る。
すると
「わたしだって(俺だって)あんな辛いものを食べられた!」
みたいな達成感が生まれ、その後に数回蒙古タンメンを食べてるうちに他店にはないこの味を(身体と舌が)求める様になり、そのうち辛さに耐性ができて、やがて味噌卵麺や、北極や、冷やし味噌にステップアップという流れか?
味覚形成される前の子供の時代に、バースデーパーティーや食玩の魅力で引き込み
「ハンバーガーおいしい! またいきたい!!」
と思わせちゃう、某ファーストフード店の情操教育と同じだ。
カプサイシンは脂肪燃焼効果や美肌効果が高いというのもあるのだろう。韓流ブームの影響もあるのかも知れないが女性のお一人さまが目立つ。
しかも女性のお一人さまが北極や、北極辛さ5倍とかオーダーしていた。
看板メニューで入門編の蒙古タンメンは辛さマイルドにしつつ、先代のおじさんが「身体に悪いからやめなさい」と言っていた北極の辛さアップに対応しちゃってる幅の広さ。
見事な経営戦略だと思う。
先代のおじさんが自分の店で出していた孤高の蒙古タンメン。
多店舗展開で一般受けを狙って辛さがマイルドになったいまの蒙古タンメン。
蒙古タンメンは昔の蒙古タンメンに在らずということかな。