立ち続けの抗議行動に出たエリマキタオがやっと寝た。
寝かしつけるまで、あの手、この手で約2時間。
最後はお座りさせて、横に座ってずっと抱きかかえてあげて、そのまま伏せに誘導したらやっと寝た。
どちらが先に諦めるかの根比べなのだ。タオ本人もぼくもヘトヘト。
このまま朝まで寝てくれることを願うが、きっと咽が渇き、キッチンの水飲み場まで移動する間に部屋のどこかにアニマルネッカーがつかえ、そのまま途方に暮れて立ち続けるのだろう。
そんなの放っておけばいいのかも知れないが、放っておけないのが性分なのだ。
過保護に育てたツケが回ってきている。
乳児の手のかかり方ってもっと凄いのだと思う。
しかし人間は成長して自立する。いつまでも散歩に連れて行く必要はない。そのうち1人で家を出入りする様になり、チャリンコなんか乗り出して、親の心配をよそに次にはバイクなど乗り回し、いつしか無断外泊とか始める。
水やご飯だって1人で勝手にやる。ヘタすると晩酌なんか始めるかも知れない。
そしてやがて親元を離れる。
がしかし…。
最近、障害のあるお子さんを育ているお母さんの話しを聞いた。自分が生きている間は子供の面倒をみてやれるが、自分がいなくなった後のことが1番心配だと言っていた。
犬と比べたら失礼だろうが、いつまでたっても自立しないということに関しては同じ。
ずっと庇護が必要というのは深い。
ぼくを置いて先に老いていくということも不思議だ。
犬の寿命が20年で人の寿命が80年とすれば、犬の1年は人の4年分の密度なのだ。1日が4日。1時間が4時間。
何度も言うが、時間は相対的なのだ。
今日という1日が凄く長く感じる人もいるだろうし、凄く短く感じる人もいる。