今日の昼ご飯はご近所の武蔵小山大勝軒。
お店は空いていたけれど、出前がガンガン稼働していたので、出前店として地元に定着した模様。
熱々のスープは濃厚で塩分が強いので、短くカットされた中太のストレート麺(スープの持ち上げが弱い)との相性がよい。
ご馳走さまでした。
フードポルノということばが一般的になってきた。(こちら)
肯定的な人もいれば、否定的な人もいる様だ。
シェフに失礼とか、マナー違反だというのが反対の人の主張だと思う。
ぼくは料理の写真(ラーメンの写真は必須)をアップしますが、実のところ、食べ物の写真を撮ることは品がないと思っている。
…というのも、シェフに失礼とか、マナー違反ということではなく、命を提供してくれている食材に対して感謝や尊厳という感覚が欠如していて失礼だと思うからだ。
ある女優さんがやっているビールのTVCMで、おでんからゆでダコを箸でつまみ上げて、タコチューの真似をして、タコにキスして食べた後に、ビールをグビグビ呑むというのがあった。
「こんなキレイな女優さんがタコチューの真似して可愛い」
とか
「寒くて乾燥した季節である冬に、おでんのタコとビール最高!!」
というのがTVCMの狙いなことは分かるし、それほどの違和感や嫌悪感もない。
…にしても、タコにしてみれば、殺されて、茹でられて、タコチューの真似されて、死んでる姿をテレビで流されて、笑いのネタにされて、最後は食べられちゃうんだからたまったものではない。
ぼくがタコの親戚だったら深く傷つく。
料理をしたことがない人が
「キャー!」
とか
「キモ!」
とか大騒ぎしながら、生け簀の中から魚やタコを取り出して、遊び半分に殺して調理するみたいな番組も面白いと思えない。
「マズっ!」
ということで笑いが起きて、食べずに捨てて終了。
死にたいと思っているわけもない魚やタコにしたら、それこそ命がけの状況。
人が必死になっている瞬間は笑えたりするが、命を奪われてしまうタコや魚の恐怖心を思うと全く笑えなくなる。
新鮮な魚やお肉や野菜が並んだ市場や、レストランで供される品々の写真をみると、美味しそうだと思うし、キレイだと思うけれど、5%くらいは
「命を提供してくれている食材に対しての感謝の気持ちやリスペクトが足りないな」
と思う。
自分に近しい人や犬や猫が亡くなった姿を写真に撮って、人目にさらす人はまずいない。
…でも、提供される食材や、料理だと、亡くなった姿を写真に撮るわけです。
この差はなんなのか?
ぼくのおばあちゃんくらいの世代の人は、フードポルノに対しては
「品がないからやめなさい」
という倫理観があった気もする。
…とはいえ、昔の人も、食材や料理の絵を描いたりしてるので、スマホで簡単に写真が撮れたら同じかな。
時代が変わり、倫理観やマナーも変わっていくわけですが、自分で育てたり、自分で絞めたり、自分で捌いたりしなくなると、命を提供してもらっている感覚が欠如してくるので、フードポルノみたいなことも流行ってくるんだろう。
5%くらいは
「よくないなー」
と思っているのに続けている悪癖が、ぼくにとってのフードポルノです。