「なんだか蜂が多いよね」
とヒカルと話していたら、2Fのベランダの軒下に蜂が巣を作っていた。
ここで出てくるであろう意見や感想は
・怖い
・気持ち悪い
・可愛い
・モグやヒカルやぼくが刺されるかも知れなくて危ないから駆除すべき
・モグやヒカルやぼくは別にして、近所の子供の安全のために駆除すべき
・蜂蜜取れるかも
・受粉ご苦労さま
といったことだと思う。
ペットの殺処分を減らすための活動をしていて、この夏に向けて新たなキャンペーンを仕込んでバタバタしている。
そんな中で、ぼくが行動規範としていることは1つ。
「食べる以外の殺生は(極力)なくす」
ということ。
しかし世の中には食べる以外の殺生が呆れるほどに多い。
例えば
・動物実験
・里山に降りた熊やカラスやネズミなどの害獣駆除
・鳥インフルに罹った鳥の殺処分
・ゴキブリや蚊や蝿や蟻などの害虫駆除
・ファーやダウンジャケット
・闘犬
・闘鶏
・闘牛
・スポーツフィッシング
などなど。
だいたい害虫や、害獣とか、雑草ってことばがよくない。
「食べる以外の殺生は(極力)なくす」
という行動規範に照らし合わせると、安楽死の問題(こちら)などは、切ない話しでも、美談でもなくなってNGとなるが、いったい何が正解なのだろう?
食べるということにしても、ムリやり脂肪肝にしているフォアグラは?
フィニングの問題があるフカヒレは?
柔らかくて美味しいからって、乳離れしてない仔牛を食べちゃっていいのか?
犬猫を食べることは?
犬猫はNGだとすると、豚、牛、馬、鹿、鳥は食べちゃっていいのか?
イルカやクジラは?
色々と考えたけれど、揺るぎない答えは見つからず自問自答の日々。
ただ1ついえるのは、自分の主義主張や世界観を人に押し付けてはいけないということ。
人は、人。
ぼくは、ぼく。
なるべく情報を広めて、各々が判断すればいいし、それしかないのだと思う。
生きるということはとても力強くて、そして残酷だ。
人間(ぼく)の業の深さにも眩暈がする。
せっかくうちに巣を作ってくれたのだから、蜂の巣は、このまま様子を見ることにした。
共存共栄。
共生。
スズメバチだったら駆除する必要がるのかもしれない。
ツバメだったら歓待するのかも知れない。
…ツバメだって、糞が汚いとか、鳴き声がうるさいということで駆除する人がいるのかも知れない。(写真は京都で見たツバメの親子)
生きるということは、自分がどう生きるかということであり、それは即ち、どこで、誰と(環境=動植物を含めた自分以外の全て)、どう折り合いをつけて暮らすかということなんだと思う。
ぼくを刺してもいいけど、モグとヒカルを刺すのは勘弁。
うちに小さい子供でもいると、また考え方が変わる気もする…。