ぼくにとって大事な思い出の品がある人にとってはごみ同然なことがある様に、なにが資源で何がごみかなんて線引きは意味がない。
「燃えるごみ/燃えないごみ」という名称から「燃やすごみ/燃やさないごみ」と名前が変わった。
受け身から随分と能動的&主体的な呼び方に変わったものだ。
それに合わせてごみの分別が細分化された。
面倒だけどいいことだと思う。
次は使い捨てカルチャーからの脱却だ。
ペットボトルやレジ袋など、再利用可能なのに捨ててしまうのは、再利用するシステムが確立されていないのとただ同然に安いことが原因なのだ。
ペットボトル容器は1本500円くらいにして、中味を詰め替えることが可能にすれば、瞬く間にペットボトルのごみは減る。
減るどころか、道端に落ちてるペットボトルなんか全て消えると思う。
あとは詰め替えしてくれるところがあればOK。
一気に時代が動いてるので、すぐにそんな時代が来る様な気がする。
ちょっと前まで、醤油などは一升瓶を持って行って詰め替えていたわけだ。
詰め替えしてる間に醤油屋さんと会話が生まれたりして、地域社会の密着度が上がる。
面倒や手間も増えるだろうが、そういうシステムを土台にした社会の方がきっと素晴らしい。