凄くフレッシュで美味しそうな青唐辛子が売っていたので買って来た。
味噌をつけてつまみにしてもいいのだが、今日の夜は酒を抜こうと思ったので刻んでナンプラーに漬けた。
青唐辛子のナンプラー漬けがあれば、グリーンカレーやレッドカレーにかけても美味しいし、ニンニクを軽く炒めたものといっしょにパスタに和えればエスニック風のペペローンチーノの完成。冷や奴にかければエスニック風味になるし、炒飯の隠し味に少量加えてもいい。
鍋のつけ汁にひと振りしてもいいし、焼きそばにかければタイ風焼きそばの出来上がり。
使い勝手がよく日持ちもするので、青唐辛子のナンプラー漬けは要するに万能なんである。
しかし漬けてる途中でナンプラーが足りなくなったのでタオの夜の散歩がてら再度買い物へ。
ついでにレッドカレーとグリーンカレーのペーストとココナッツミルクパウダーを購入。明日の昼はエスニックのカレーにする予定。
ナンプラーの横にヌクナム(ニョクマム)も売っていたので両方購入。
ナンプラーもヌクナムもカタクチイワシを塩に漬け込んだ魚醤である。
タイではナンプラー。ベトナムだとヌクナムに名前が変わる。
イタリアにもイワシの塩漬けがあってアンチョビと呼ばれる。
日本にも「いしる」とか「しょっつる」と呼ばれる魚醤がある。
詳しくは知らないが、要するに世界中に小魚を塩漬けにした発酵食品(調味料)があるわけだ。
魚のタンパク質が醗酵してアミノ酸になったものには、人類が旨いと感じる何かがあるんでしょうね。
イカとかアミ(小魚)と唐辛子と塩やニラやニンニクや生姜を混ぜたものを白菜の葉の間に敷いて漬ければ白菜キムチができる。
その土地で取れる野菜や果物や魚や肉を、その土地の風土に合わせた形にアレンジして人は食べ続けてきたわけだが、どこでなにを食べてもベーシックな部分は同じなんである。
和食や中華やイタリアンやフレンチなど色々な食文化があるけれど、要するに地球にあるエネルギー源を、生のままか、焼くか、煮るか、炒めるか、ふかすか、揚げるかするわけだ。
そこに甘いか、酸っぱいか、苦いか、辛いか、渋いか、塩っぱいかの味付けして、あとはあっさりか、さっぱりか、こってりかの脂加減で変化をつけ、最後に温かいか、冷たいかの方向付けしてるだけかと思えば、世界のあらゆる料理ってのはパターンを変えてアレンジしてるにすぎないことが分かる。
それは小説や音楽も同じ。
出会って別れるだけだったり、AメロがあってBメロがあってサビという構成に過ぎないのに、そこに意味やテーマやテンポや文体やグルーブや面白さや気持ちよさや感動や中毒性が生まれる。
同じだけど違うとか、浅いけど深いってのがスゴい。
世界各地で脈々と、飽きもせずにそんなことをやり続けているのが人類だと思うと、100年後も本質は変わらないことが分かる。