昨夜は15年くらい前からの遊び仲間50名くらいで大忘年会。
権八@西麻布で呑みまくったあとに歩いてヒルズに移動し、そのままEMMAが回してるMADO LOUNGEに流れ込む。
懐かしい面々が集まっての呑みなので楽しかったのはいいんですが、今年がどうだったか話してると同年代も多いので自然に厄年の話題に。
大して気にもしてない(ふり)ので厄払いに行ってないんですが、41歳の今年が本厄(大厄)だから来年は後厄なんだと思っていた。なので今年が底。来年の節分からは運気上昇するんだと思っていた。
今年が本厄だから、タオが手術したり、ぼくが痛風で倒れたり、フリーランスになったばかりで仕事も色々と大変なんだと納得してた。
厄払いにも行かずによくぞ本厄を乗り切るもんだと、やや自慢な気分でいた。
しかしである。
神社仏閣や宗派によって42歳が本厄と数えるところも多いらしい。
なんだよそれ。話しが違うじゃん(^^;
そうなると来年の節分で底を抜けて折り返すんじゃなくて、来年の節分から底にむかって沈み込み始めることになる。
あたたたた…。
今年はまだ序章で、来年が災厄の本番ってこと!?
聞けばみんな厄除行ってるし、42歳の来年は凄く大変だから厄除行っといた方がいいと諸先輩たちに脅される。
それでも「そんなのあんまり興味ないんだよね」と流していたら、自分の仕事や健康運というよりも、家族やタオや恋人などの、自分周り災厄が降り掛かることが多いと言われる。
さらに女の運勢ってのは男の運勢に引っ張られるとかなんとか…。
こうなるとヒカルが黙ってないので、いちいち反論してるよりも安心させた方が手っ取り早いのでドライブがてら川崎大師へ。
羽田のちょっと先なので家から首都高で20分くらいなんですが、界隈全体が参道みたいな感じになってて独特の雰囲気で非日常的なトリップ感あり。
厄除祈祷の申し込み時に昭和42年生まれの41歳だと告げると、やはりここでは41歳ってのは前厄で来年が本厄とのこと。
気分は軽くブルー。
だったらどうすればいいのか聞いたら、今日受け取る札は1年有効だから来年に札を奉納(?)しにくればいいそうだ。
そんなことまでするのは面倒だと思ったので「札の奉納しないとダメなんですか?」と受付のお姉さんに聞いてみたら「ダメってことはないです。奉納しないと効果がないってことはないと思いますから」と言われる。
もうこのあたりから話しが分からん。
「1年後に札を奉納しに来た方が効果が高いってことですか?」
と聞いてみると
「そうだと思います」
と言うんですが、厄除の札に効果があることが前提なら、さらにそれを1年後に奉納した方が効果が上がるというのも前提。
お札に名前と年齢を書くんですが、登録時に「41歳でいいですか?」と聞かれたので
「来年42歳になるので、今から1年後だったら42歳なんですが、今の年齢を書いてもらった方がいいんですか? 来月で来年になるから、来年の年齢を書いてもらった方がよければ42歳だし、12月のいまの年齢だったら41歳なんですけど…」
と訪ねたら、数え年だとか満年齢だとか、どっちの年齢を書いても気分の問題だから効果が違うということはないみたいな、凄く丁寧なんだけれども、最終的には効果があるかどうかも気分の問題だからどっちでもOKみたいな説明。
効果のほどを証明することができないんだから、あくまで信じるかどうか、こっち側の気分次第なわけです。
宗派とか全く分からないんですが、指定の修行時間に本殿で正座してたら、坊さんが何人も集まって読経を始めた。
そしたら声圧が凄くてゴスペル聴いてるみたいに素晴らしい。
荘厳で静かな読経ってよりも荒ぶってる感じ。驚いたことにちょっと喧嘩腰なんですよ。
しかも途中で和太鼓を思い切り叩き始めて、そのビートでグルーブ感がでてきてかなりアグレッシブ。
大きな炎が本殿を照らし密教的な儀式感が漂っててステキ。
トリップ感あって楽しいじゃん。
弘法も筆の誤りとか、弘法筆を選ばずというあの弘法大師の空海系列ってのは、些細なルールに縛られない骨太な感じがいい。
本流に対して、密教ってのは亜流であるわけでしょ?
…ってことはRock’n’RollでありAltanativeってこと。
なるほど、いいわけだ。